今月の法話
平成27年9月
死縁無量
浄土門主・伊藤唯真猊下が、今年元旦に御垂示下されました、「教諭」を拝読させていただきますと、「死」の必至的な問題についての重大性が、私たち門葉の読者に伝わってまいります。
その「教諭」の冒頭には、
人は死と向き合うことで生きる意味を見出し、今生きていることを改めて自覚し、
より大切に生きようと心がけなければならないのに、現在の日本社会では死の実感
が社会の様々な面で抜け落ち、死と向き合う経験が減少しています。
と、「死」に大変に温(ぬるい)い現代人の真姿を断呼されておられるのです。
正に、今の私たち自身のことであります。自らの「死」について思いを寄せるとき、はるか遠く無辺涯にあるような緩慢な思いしか持ってはいないのです。佛家の私たちがそうであるのですから、世の中の多くの方々はなおさらであると思います。
よく言い旧(ふる)された言葉に、「三つの坂」のお話はよく御存知のことと思います。上り坂・下り坂・まさかの三つのことです。今夏、私は、この「まさか」の逆縁に、突如遭遇し、深い悲しみに一生分の涙を落としました。仮にも、また予想だにもしなかった肉親の死に出会い、「死縁無量」、人ごとではないのだということ、そして「念死念佛」、今この自分が死ぬのだということ、「往生之業 念佛為先」、お念佛こそが何より最優先するべき大事中の大事と身につまされたのでした。
合掌
滋賀 西方寺
安部 隆瑞