今月の法話
平成27年11月
日々のおつとめ
数年前のことですが、イスラム教徒の方が二名お泊まりになられました。夕方に西方に向かって礼拝し、午前四時に起床されて朝のおつとめをされました。
「仏教徒はおつとめされないのですか。」との質問に「おつとめはありますよ。」と応えると「日本へ来てから、まだ見たことがない。」とのことでした。 ≪おつとめはありますが、している人はいない≫のが現代の日本です。
江戸時代には、朝夕の勤行をしない家はありませんでしたが、大きく様変わりしたものです。もはや仏様に向き合い、合掌・礼拝・読経・それにお念仏をお称えする姿は見えなくなってしまいました。それは「お参りする心」が無くなったからです。
だから当然の結果、私は迷い・落ち着かず・過ぎ去ったことに苦しみ・いまだ来ない明日に不安を感じ・さもなければ欲望を求めて足が大地につかず・そのあげくに悶々とした閉塞感に襲われての虚しい日々が続くのです。
人生で一番大切なことは、≪あなたの心を命をみ仏さまへ運び、お参りすることです。≫
それは、人の世に生かされている勤めです。
その毎日の積み上げを『勤行(ごんぎょう)』といいます。勤行は、必ず、み仏さまの導きと御守りと、「日々に清々しく生かされている自覚」を与えてくださるのです。
その歩みの中に、生かされて生きる原動力が、浄水のように湧き上がってくるのです。
合掌
奈良 佛眼寺
勝部正雄