今月の法話

平成28年2月

釈尊の慈恩を偲ぶ

二月十五日は釈尊のご入滅の日です。釈尊のご入滅を一般に涅槃、ご入滅を偲び慈恩に感謝する法会を「涅槃会」と申し上げます。

  今月は釈尊の入滅を偲んでみたいと思います。

 「クシナ城外日は落ちて サーラの林の夕まぐれ 教化の道の涯(はて)しなく 世尊は旅に病み給う」(『涅槃和讃』)

  釈尊は三十五歳でお悟りを開かれました。 それからはインド各地を歩き回られ、ひたすら説法の四十五年間でありました。多くの悩める人を救ってこられました。八十歳、最後の夏はバイシャリ城付近の竹林村で過ごされました。ここで重い病に冒されますが、ようやくにして病が癒えます。そこで弟子達を集めて、三ヶ月後に涅槃に入ると告げられました。そして阿難らとともに、ご自分の故郷カピラ城を目指して歩き出されました。

  途中パーブァー城に至り、鍛冶工のチュンダから茸(きのこ)の入った食事の供養を受けられ、激しい腹痛におそわれます。釈尊はチュンダを責めることなく説法をされたのでした。

 さらに旅を続けられ、ついにクシナ城外のサーラ樹の林に辿りつかれました。ここで再び激しい腹痛を覚えた釈尊は限界を悟られます。阿難に床をつくらせ、頭北面西、右脇にを下にして身を横にされたのでした。

 「度すべき者を度し終えて 精進せよの一言を 常随阿難に残しつつ 世寿八十の大涅槃」

 (『涅槃和讃』)

  病に苦しみながら、釈尊はまだ説法をされます。訪ねてきた遍歴行者スバッダの質疑に応えられ、最後の弟子とされました。悲嘆に沈む阿難には「これからは私の残した法に帰依し、その法によって育てられた各人の精神を依りどころとせよ」と諭されました。

 釈尊最後のことばは、「すべてのものはやがて滅びる。怠ることなく道を求めよ。」というものでした。ついにその夜半、釈尊は生涯を閉じられました。人天慟哭し、サーラの林は時ならぬ白い花が開いたと伝えられています。

  元祖法然上人は釈尊の八万四千の法門の中から「釈尊の出世の本懐は念仏の弘通にある」とお見立てになられました。私どもの帰依すべき法は、「念仏すれば必ず救われる」であります。精進すべきはお念仏の日暮(ひぐら)しであります。「涅槃会」で釈尊の慈恩を偲ぶとともに、お念仏を相続していくことが慈恩に報いていくことであります。

合掌
                           

長野 功徳寺
村上和彦

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