今月の法話
平成28年12月
私の真実(まこと)
「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思いわずらうことぞなき と思いぬれば 死生共にわずらいなし」法然上人のお言葉です。
又、ご遺訓には「(弥陀・釋迦)二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし」「ただ一向に念仏すべし」とあります。
阿弥陀さまの本願の光に照らされて、南無阿弥陀仏と申して生きてゆく。これは私の真実(まこと)です。十人いれば十の真実があります。私の真実について述べます。阿弥陀さまのお誓いは私に対する救済の誓いです。私はその誓いを身に受けて、南無阿弥陀仏と申すのです。
私の生活の中では、本願は月の光であらわされます。五十年前では夜間照明がなかったですから、月の光は重要な夜間照明でした。本願は、月光と同じように実用的な意味が強いのです。本願は私の生活の中では、光と同じく生活の基本となっています。だからこそ、生活の中から念仏申せるのです。
おもしろい話があります。人は目で見るのか?光があるから目が見えるのか?光があるから目が見えます。本願の光があればこそ、信仰の目が見えるのです。最初に述べた「生けらば念仏の功つもり、云々」は法然上人が、私に生き方をしめされたものです。
法然上人が日本浄土宗を開かれて以来、皆が各々の真実を心にもって、法然上人ご遺跡「総本山知恩院」が始って以来、毎日、多くの真実が参集して参りました。法然上人の信仰をご理解実践下さい。
合掌
富山 西念寺
關野弘賢