今月の法話
思いで人
ご紹介する方は、隣村で農業と養鶏で鶏卵販売を生業となさっていた老齢の男性であります。大柄でいつもニコニコ今でもそんなお顔しか思い浮かびません。毎年二月二十八日、ご近所を招き鶏のご供養をなさる。平素の迷惑に対しお詫びとお礼の意味も兼ね、弁まえた方である。
月に一度、三地区合同の老人会が拙寺で催され会長をなさっていた。商品にならぬ卵を沢山持参され「奥さん迷惑かけますが皆さんに、とき卵汁をお願いします」と口癖は「それも功徳、それも功徳」でした。
跡取りの息子さんが40代で早逝され、若奥さんと姉弟二人のお孫さんを育てられていました。
晩年のある日、突然寺にお出になり本堂から降りてくるなり「和尚さん言いすぎたろうか!これで良かったろうか!」私の前で男泣きなさった。奥さまの入院は存じていましたが、すでに医師から見放された状態にあられたようです。
バイクに乗って毎日病院に通い看護する御主人の心も折れるほどであったかと思います。丁度ご夫婦の失意が重なったのか、奥さまが大変とり乱された。
そこに強い口調で「今まで何のために念佛申してきた!何のために聴聞してきた!阿弥陀さまはおいでになるぞ!極楽浄土でまた会えるんだぞ!俺も申すからお前も申せ!念佛申さにゃいかんぞ!」と語気を荒らげ仰ったようです。
独生、独死、独去、独来、お釈迦さまのお言葉が身にしみます。代る人もなく、何もしてあげれない無力を知らされる時であります。
私ももらい泣きいたしました。同じ立場なら私も妻に同じことを申します。阿弥陀さまお願いいたしますと、同じことを申します。
奥さまを送られた四年後、夕暮れ時に高さのある三面側溝にバイクごと転落する事故。即死状態だった訃報の中に知りました。
そこに殺邦の時間があったなら、あの時のことが強く意識され、奥さまと阿弥陀さまが共となってお迎え下さる姿に安堵して、乗蓮なされたことと確信いたしております。
合掌
佐賀 浄圓寺
藤野良海