今月の法話

平成30年4月

私たちの知識は「言葉」というものを生み出しました。言葉により、私たちが掌握しようとする対象を、他のものから識別し、その対象をより詳しく理解しようとします。

浄土宗宗歌には、法然上人のお詠みになられました「月影の歌」が定められています。
その「月」の言葉を挙げてみましょう。
満月を望月(もちづき)・天満月(あまみつつき)・月の鏡と呼ばれています。その時に眺めた月の実像に迫ろうとして生み出された言葉なのでしょう。

通常とは異なった月の実態を掌握しようとすることは、今までの理解があってのことですし、また、今までの理解から異なった月であるからこそ、違った言葉が必要だったのでしょう。その言葉こそ、その時の月を理解し新たな意味をもたらせたと言えるでしょう。

多くのご法語が遺されているのはそのためです。ご法語により人生の日々の心にひびき、なるほどと何かを感じさせてくださいます。

しかし、言葉により、そのもののすべての意味を言い表せるものでないことも知るべきではないでしょうか。

言葉と言う網で掬った魚が「世界のすべての魚である」と言い切ったならば、「人類の無知から噴き上がる傲慢にしかすぎない」と網からもれた魚は悲しむことでしょう。
極楽浄土の世界に、清らかな水が阿弥陀さまの光明を受け、燦然と輝いています。その心理の世界は「お念仏をお称えする」ことにより、その光に浴されることでしょう。

合掌

奈良 佛眼寺
勝部正雄

バックナンバーを見る