今月の法話
平成30年5月
対治慢心
今年の桜は例年より早めに見事に咲きました。
関西地方は、その頃、好天に恵まれ、平年よりも永めに桜を楽しむことができました。
今年の私は、特に桜の名所を訪ねることも出きぬうちに、花吹雪を迎えました。しかし、見頃の時期、車窓から川沿いの桜や道路沿いの公園に咲く桜に、目を楽しませることが出来ました。
そんな同じ頃、桜の花に私たちの日頃のお念佛生活の真のあるべき姿に気付かされたことはありがたいことでした。遠くに目を移すと、あんな所にも一本、またあそこにも一本と、道とてない奥にも点々と咲き誇る桜に心が留まりました。
古歌にして詠(よ)み人も判明されていない一首に
あれを見よ 深山の桜 咲きにけり
まことをつくせ 人 知らずとも
とあります。
深山とは、足を運ぶ人とてない奥山のことです。鳥がいつか種を落としたものが芽吹き、山陰や谷の縁(ふち)に春の訪れとともに咲くのであります。だれ一人見に来る人もなく誉(ほ)める人もなくとも、桜は見事に咲いています。
法然上人の御法語の中に
『まことしく念佛を行じて、げにげにしき念佛者になりぬれば、よろずの人を見るに、みな我が心には劣(おと)りて、浅ましくわろければ、我が身のよきままに、「我はゆゆしき念佛者にてあるものかな。誰々にも勝れたり」と思うなり。この心をば、よくよく慎むべき事なり。』
とお示しいただいております。
世間や人目を飾らず、深山の桜のように至心にお念佛に励みましょう。
合掌
滋賀 西方寺
安部隆瑞