今月の法話

令和2年9月

先立つ子供は善知識

夢の世に (あだ)にはかなき 世を知れと

教えて帰る 子は知識なり  和泉式部

昭和63年8月12日 檀家の子供さんがひき逃げ事故に遭遇してわずか4歳で亡くなりました。勝君という、いつもニコニコして笑顔で話しかけてくれるとってもかわいい子供さんでした。お盆参りが終わり、自坊に戻ると、勝君が事故で亡くなったという知らせが入りました。さっそくお家に向かいました。

勝君はお父さんに抱っこされて、顔に包帯をぐるぐる巻いた状態で家に戻ってきました。ご両親と勝君の兄弟と一緒に枕経を勤めました。ご両親は泣き崩れていらっしゃいました。

お通夜も終わり、眠ることも出来ず、憔悴しきったお姿でご両親はお葬式に出られました。お別れも終わり、いよいよ出棺の時、お母さんは裸足で霊柩車に走り寄られ「連れて行かないで」と泣き伏せられました。

砂糖が甘く塩が辛いとは、誰も知ることながら、それはなめてみた人のみが本当にわかる味で、外の人には到底わかるものではありません。今日から可愛いわが子がいない道を歩んでゆかねばならなくなった。
ご両親もあの子がいた昨日までと、これから先の日ぐらしが如何に違ってゆくか。

いろいろな言葉で慰めてくれるであろうが、そんな言葉のあやで、慰められるものではありません。しかしお葬式が終わり初七日、二七日と中陰が進むにつれて、今まで合掌もされなかったご両親が手を合わせ、私と一緒にお経を読み、お念仏を一緒に称えられるようになりました。まさに亡くなった勝君がご両親を信仰の世界へと導かれたのです。

まさに勝君はご両親にとって「善知識」だったのです。今も、ご両親はお浄土での再会を信じ、その時を楽しみにお念仏に励んでおられます。 

合掌

奈良 極楽寺
野島学道

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