今月の法話

令和3年4月

凡夫の自覚

例がないほど早く咲いた桜も散り、まもなく知恩院では御忌大会が奉修される事は何より嬉しいことであります。1年を超えて未だ、終息が見えないコロナ禍。それまでの忙しい日常生活が、少々ゆったり流れるようになって、今までできなかったことができる事は幸せなことと思います。

先月自坊の本堂の掃除をしていて、思わぬ発見に驚喜しました。住職拝命40年、30センチの聖徳太子像がおまつりされている事は知っておりました。念入りに手に取って埃を払って、お厨子の背面裏に制作年代が漆で書かれているのに気づきました。そこには聖徳太子1250年・明治4年初冬日と書かれてあり、時の住職名と施主名が添え書きされてありました。彩色が施された柄香炉を持つ「孝養の太子像」です。この明治4年は西暦1871年、今年は2021年、太子の1400年御遠忌の年であります。まさに150年前に寄進されたものであることがわかったのです。

聖徳太子の残された十七条憲法の第十条に「共にこれ凡夫のみ」というお言葉が出てきます。浄土宗においてもこの凡夫の自覚が深いほど、お念仏が喜べるのです。法然上人のお言葉に、「凡夫が阿弥陀様のお浄土へ往生させていただけることを示すために、浄土宗を開宗するのだ」とあります。驕りや高ぶりを捨て去り、ありのままの凡夫の自分を自覚すれば、到底救われようのない自分に気づき、阿弥陀仏の親心・本願力を頼み、ひたすらお念仏申す事しかないと頂戴させていただけるのです。

滋賀 西方寺
安部隆瑞

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