今月の法話

令和3年5月

間を空けずにお念仏

 今から76年前の戦争を体験された方がたが高齢になられたり、亡くなったりで、戦争を語る人が少なくなってきました。聴いた世代がしっかり伝えねばと思うことであります。7年前に亡くなられたYさんもシベリア抑留という大変な経験をされて帰って来られた方でした。

 昭和20年8月15日ソ満国境で武装解除を受け、ソ連の捕虜となり、シベリアへ送られました。その地で4年間、寒さと飢餓と労働の中を生き抜かれ帰国されました。その4年間、日々思うことは
「早く父母に会いたい。必ず故郷に帰るぞ」の思いでありました。)()

われはただ 仏にいつか(あおい)(くさ)
          心のつまにかけぬ日ぞなき
(自分は毎日毎日をただただ阿弥陀さまにお会いしたいと常に思うております。心に掛けないことはひとときもありません)

 元祖さまが賀茂の葵祭りを見て詠まれたお歌といわれています。元祖法然上人はひたすらに阿弥陀さまに(まみ)えることを願い、そのことを忘れることのなかった日々をお過ごしでありました。

 念仏者のあるべき姿は、絶え間なくお念仏を称えることです。一日二日と間が空いてはなりません。あたかも異郷にあることを余儀なくされたYさんが、常に故郷を思うがごとく、父母を思うがごとく間を空けないことであります。
 法然上人は、私たち凡夫は過去世からの煩悩(貪・瞋・痴)の囚われの身であるとお示しです。いかに善行を積み、福徳と智慧が備わっていても、一度煩悩の激流に襲われるとたちまちその福徳や智慧は流され、六道に沈み、苦しみ悩む私たちであると。この度、善き縁に遇い、慈父のような阿弥陀仏が広大な願いを成就して、すべての衆生をお救い下さるというみ教えに出会えたのです。
まさにみ仏のご恩を念じ(み名を称え)、この身が尽きるまで、つねに心に往生の思いをかけるべきです。浄土への思いを絶やすことなく続けてくださいと、仰せであります。

 Yさんの戦後は、農業と工場づとめの日々でありました。帰国数年後の五重相伝の会座に加わり、お念仏のみ教えを受けられました。以来、お仏壇に向かわれてのお念仏を欠かすことはありませんでした。工場長まで登られ退職。晩年は悠々自適の日々でありました。「もう一度じっくり五重を受けてみたいものです」と、私に五重相伝の開筵を勧めてくださったのもYさんでした。その五重に参加されたのは平成26年の3月、その年のお盆がYさんとの最後となりました。お盆が済んで間もなく入院、数か月の後、阿弥陀さまのお迎えを受けられ往生の素懐を遂げられました。享年92歳のご生涯でした。

合掌

長野 功徳寺
村上和彦

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